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秋桜や彼岸花が好きで。

ちいさな頃からのことで、ただそのあたりに咲いていただけの理由かもしれないけれど。

ただ記憶が、美しいだけかもしれないのだけれど。

言葉ってデジタルなもんだなあと思って、検索したら同じようなことが書かれているblogをみつけた。

言葉で伝えることは当たり前すぎるし、一番分かりやすく早く、言葉にすることが大事だと言われるほど。

言葉そのものがデジタルなものであるとして、さらにそれが、

例えばこういう場所だったりメールだったりになると、

さらに進化してしまう気がして。

それは本心より美しくも、貧しくもなれる。それはもう、受け取り側に委ねるしかないのだろうか。

だから顔文字があるのか、とか、絵文字が作られたのかとか、今更ふと思った。

FaceTimeなども。

温度のない、デジタルなコトバ。

重ねれば重ねるほどきれいになるか、嘘っぽくなるか。

せめて温度を持たせることが出来たなら、もうちょっと分かり合えるというか通じ合えるというか。

だから、煩悩を抱える人間には、声、とか、喋る、とか、笑うとか泣くとか、

そういうのが備わっているのかな、とか、思ったりする。

そこまでの信仰心も知識もなく、その概念についての理解も浅いので、

中途半端すぎる考えだとは思うのだけれど。

というかこういうことを言っていることこそが、もう、。ということなのかな。

 

言い出したらきりがないのかもしれない。

ただ、もう少しアナログな方法を使えば、時にはそういう部分を加えたりすれば、

何かが変わるかもしれない、

何か違ったかもしれないと思うことが、あったりなかったり。

なにを言ってるんだか。